nonPoli.

やっぱり、なんでもないです。

tumblinks

search

powered by tumblr
seattle theme by parker ehret

  1. SS | 天城紫苑
     
  2. "自称「マルチ・エロ・アーティスト」、「世界マラナメ教教祖」"
     
  3. "軍隊や刑務所で出される料理であったため、「臭い飯」と同意語として使われることがあり、まずい料理、粗末な料理の代名詞としてフランス人の口に登ることもある"
     
  4. 大阪 フットケアサロン プログレス フットケアブログ : 巡り合わせ
     
  5. お札に約束 :: カズコロのつぶやき|yaplog!(ヤプログ!)byGMO
     
  6.  
  7. hirokideath:

QUEPASADA : 土器プランツ | Sumally
     
  8. hirokideath:

Pinterest
     
  9. hirokideath:

DiaTentRing2.jpg?v=1351873143
     
  10.  
  11. hirokideath:

大人のランドセル2nd
     
  12. "この渡米ではニューヨークで作家の檀一雄と恋愛関係になった。その檀とのファーストコンタクトの模様を昼番組「いただきます」で堂々と披露。編集者として檀の原稿を取りに行った際、執筆に行詰まった檀から「筆が進むからチンポをさすってくれ」と突然命令されて恐々とその命令に従ったところ、檀の執筆のスピードが上がったと語った。"
     
  13. "

    はてしないものがたり

    『はてしないものがたり』(ドイツ語: Die unendliche Geschichte)はミヒャエル・エンデによるドイツ語の幻想小説で、1979年に初版が発表された。標準となっている英語訳は、ラルフ・マンハイムによるもので、1983年に発表された。この長編小説は何度か映画化されている。
    この物語の大部分はファンタスティカ(ドイツ語の原版では Phantasienで、映画版ではファンタジアと呼ばれている)という並行世界を舞台とする。ファンタスティカは、虚無によって破壊されつつある世界であり、この虚無は現実世界における人間の想像力の欠如の再現として生じるものであると共に、人間の想像力の欠如を構成するものでもある。一人目の主人公は、病を得た女帝から、旅に出てこの世界を救う手段を見つけてくるよう望みを託された若い戦士である。もう一人の主人公は、『はてしないものがたり』という題名の小説を読んでいるうちに、物語が徐々に現実的なものへと変貌していくのを目の当たりにした、現実世界の少年である。

    あらすじ
    この本はバスティアン・バルタザール・ブックスという少年を中心に進められていく。彼は父親(妻を亡くしてから絶望にうちひしがれてしまっていた)から育児放棄を受け、同級生からはいじめを受けていた。バスティアンは、いじめから逃れている最中にカール・コンラート・コレアンダの古書店に駆け込む。バスティアンはそこでコレアンダが読んでいた『はてしないものがたり』という本を盗む。バスティアンは授業外の時間は学校の屋根裏部屋に身を隠し、夜に昼にその物語を読み進めていくが、自分が実はその物語の一部になっていることには気づかない。
    物語はファンタスティカで、鬼火が子供ままの女帝に虚無に対抗する助けを求めに行くところから始まる。虚無はファンタスティカ全体に広がりつつあった。女帝は病気になっていたが、その原因は虚無であると思われ、また、女帝が病気であることが虚無の原因ともなっていた。女帝は虚無を止めることの出来る唯一の人物、アトレーユという少年戦士を派遣して、病の治療法を探させる。アトレーユは勇敢な人物で、バスティアンと同じ世代の若い男の子だが、一人前の男と見なされていた。
    探求の旅の途上、アトレーユは古老モーラ、実体なき託宣者ウユララ、ノームのウーグルとエンギウックといった人物たちと出会う。アトレーユは幸運の竜ファルコーとも出会い、旅の友として助けてもらう。ファルコーがアトレーユを事故的にスプクシティに落としてしまったとき、アトレーユは彼を殺す意図を持って旅の初めごろからずっとつけてきていた人狼のグモルクと出くわす。探求の旅が進むうちに、アトレーユはファンタスティカと虚無の本当の正体について知るようになる。ファンタスティカは現実世界の夢と幻想の再現であり、虚無と女帝の病は人間が力への欲望からつく嘘の結果だったのである。虚無は夢と幻想の否定であり、ファンタスティカを破壊していく。ファンタスティカを救うことが出来るものがひとつだけある。それは、ファンタスティカの命の循環をもう一度回し始めるために女帝に新しい名前をつける定めにある、ひとりの人間の子供である。
    フォルコーとアトレーユは子供のままの女帝が住んでいる象牙の塔に戻る。だがバスティアンは自信の欠如から、ファンタスティカに足を踏み入れることをためらっていたので、子供のままの女帝は、バスティアンがどう考えていようと既に『はてしないものがたり』の登場人物になってしまっており、そこで役割を果たす運命なのだという事実をつきつける。ついにバスティアンはそのさだめを果たす。彼は女帝のために選んだ名前を叫ぶのである:「月の子(Moonchild)」と。
    バスティアンはファンタスティカに来て女帝に面会する。彼女はバスティアンに、その想像力でファンタスティカ再建を助けてくれるよう依頼する。それからバスティアンは新世界で自分自身がたくさんの冒険をする。バスティアンは、ファンタスティカの全住人に超越する権力を授け、自らの願いを全て叶えてくれる、アウリンという女帝につながったメダリオンの助けを借りながら、色の砂漠を探検し、邪悪な魔女サイーデと戦い、3人の賢者と出会う。バスティアンはアトレーユと友達になるが、バスティアンがアウリンを利用し続け、願いを叶えるたびに記憶を一つ失い、本物の自分自身を失い始めたため、アトレーユはバスティアンに対する心配を募らせる。二人の間に増大した緊張関係は、サイーデに利用され、バスティアンは権力への欲望に駆り立てられる。子供のままの女帝のように自らが君臨するというバスティアンの企ては、バスティアンに対する反乱を主導したアトレーユによって打ち砕かれる。バスティアンが忘れかけていた自己に目覚めたのは、全ての記憶を失ってファンタスティカから出られなくなった人間の居留地に迷い込んだときだった。
    バスティアンは自分自身の本当の願いを探すために出発する――彼が彼自身を喪失することなく願うことの出来る唯一のものを求めて。バスティアンが残りの記憶を失った後も、アトレーユは彼を助け続け、バスティアンは真の願いを叶えることが出来、彼の父親を癒すことも出来た。バスティアンは家に戻った後その本を持ち主であるカール・コンラート・コレアンダに返そうと決意するが、ファンタスティカから戻ると本は消えていた。彼がこのことをカール・コンラート・コレアンダに説明すると、コレアンダはバスティアンの冒険に興味を示し――コレアンダもファンタスティカにいったことがあったのである――これからも連絡を保って経験談を聞かせてくれるよう求める。バスティアンが父親に会うために店を出て行くと、コレアンダは、バスティアンがこれからも人間がファンタスティカへ行けるようにしてくれたのであり、人間の世界にこれからも希望が存続できるようにしてくれたのだ、と感慨深げに述べる。

    アウリン
    アウリンは『はてしないものがたり』に登場する神秘的なお守りである。小説中では、アウリンは常に大文字でつづられ、ファンタスティカ全住民から「宝玉」そして「栄光」と呼ばれて崇敬されている。アウリンはその主である子供のままの女帝の象徴であるが、女帝はアウリンとの関係性においては「金色の瞳をした希望の管理人」とも呼ばれる。その本ではアウリンの絵が「表紙」に載っていることを記述はするが、それをずばりとアウリンだとは言っていない。
    アウリンが願いを叶えてくれる単純な魔術道具だというのはよくある誤解である。本当は、アウリンの力は子供の姿をした女帝から流れてくるものであり、女帝の許しがなければ使うことは出来ない。この強力なお守りは女帝の意に反して使うことは出来ず、女帝に使用許可をもらっていない人物がアウリンに影響を及ぼすことは出来ない。
    2弾きの神話的大蛇が、左右対称の関係で、相手の尾を咬んでいる。本の中の描写では、二匹の蛇がからまっているとははっきり書いていない、あるいは、常に絡まっているとは書いていない。一方の蛇は白く、もう一方は黒い。蛇の目は各々に一つずつ彫られているが、本の印刷色に対応して赤と緑である。注になるかわからないが、映画版では二匹の蛇が「無限結び」の形をしている。悲しみ結び(grief knot という結び方のイメージ)のような形で、8の字型無限大記号をもっと複雑にしたような形で、ウロボロスを翻案したような象徴である。二匹の蛇は、ファンタスティカと現実世界という二つの世界が存在するという二重性を示すと同時に、二つの世界が互いに互いを創造し破壊するという相補性をも示している。アウリンの裏には次の文言が記されている:

    「汝の望むことを行え」(ドイツ語:”Tu, was du willst.”)

    アウリンは、アトレーユが病める女帝を癒す手立てを探し求めてファンタスティカを旅する際に導きとなり、それによって虚無を妥当する助けとなる。アウリンはアトレーユを影から支えていたが、彼を象牙の塔に帰還させるのに力を発揮した。アトレーユは自分がファンタスティカの境界を越えてきた人間の子供を見つけ出せなかったと思っていたが、子供のままの女帝はさにあらずと告げ、実はその子供はずっとアトレーユといっしょにいたのだと告げる。
    子供のままの女帝の手に戻ると、アウリンは虚無に直面してもなお、その威力を増す。女帝は、さまよう山の老人を見つけ出すために、ぼろぼろになった領土のあちこちを探索するべく自分に仕える7人の精を放つ。7人の精は女帝を戦車で運び、アトレーユとファルコーが入るための安息所を提供する。
    バスティアンは子供のままの女帝に新しい名前を授ける。女帝は彼にアウリンを与える。女帝が彼に要求したのは、裏に書かれている指示に従えということだけだった。アウリンはバスティアンに願いを叶えより多くファンタスティカを思う力を授けるが、彼が自分の世界に戻る唯一の道である彼自身の記憶を流出させる。バスティアンはどこまで行っても見えてこない、どこにあるともしれないファンタスティカのさいはてを探し求めるが、結局それはアウリン本体のうちにあることを悟る。
    アウリンの神秘的な内部では、二匹の巨大な蛇の像が番人として立っている。一方は白色よりも明るく輝き、もう一方は黒色よりも暗い。二つの像は、ファンタスティカの出口として機能する滝と淵である、命の水辺を守っている。二つの像はバスティアンの通行を許さない。彼はまだファンタスティカでたくさんの物語を完成させていないからだ。だがアトレーユが探求の旅を引き継ぐことを約束し、バスティアンは自分の世界に帰還できることとなる。バスティアンが命の水辺の水に触れると、その水の真実を写し出す特性が彼の魔力でつくられていた幻像を解体し、ファンタスティカの貴公子ではない、元の太った男の子に戻してしまう。だがこのときには、バスティアンは真実あるがままの自分を愛する力を身につけていた。

    反響
    『ライブラリ・ジャーナル』のスーザン・L・ニカスンは、ある書評の中で、「想像力ある読者なら、この物語が本を閉じた後も終わらないことを知っているだろう。書物というものの中に見出される魔法は永遠であり、エンデのメッセージはくっきりと届きつづける」と書いている。
    マリア・ニコライェヴァは、彼女の著書『児童文学における登場人物のレトリック』のなかで、バスティアンは主人公となるが、後半で彼は「平凡で期待はずれな主人公を演じるどころか、おとぎ話をぶちこわしにする偽主人公を演じるという点で、この小説の二つのパートは互いを反復している」と述べている。バスティアンとアトレーユという登場人物は、鏡に映った半身とも考え得る。

    ————————————

    人名は、英語版からの訳だし、原作のドイツ語とも、日本語訳とも違う英語版の間合いを感じるのも貴重で面白いのではないかと思い、英語表現をそのまま直訳してあります。たとえば「幼ごころの君」は日本では「女王」ということになっていますが、英語表現では Queen ではなく Empress、ドイツ語では Kaiserin らしいので、女王にすると降格になってしまい不敬です。近代以降日本では女帝はいないことになっているから女王と訳すことにしたんでしょうか。といって日本に女王がいたこともないし、日本語慣習における「女王」の位置づけは改めて考えると謎です。日本語になるとファンタジーには女王かお后様しかいないような気がしますねえ。
    ともあれ、英語記事に忠実になった結果、「幼ごころの君/望みを統べたもう金の瞳の君」は「子供のままの女帝(the Childlike Empress)/金色の瞳をした希望の管理人(the Golden-Eyed Commander of Wishes)」というかわいげのない名前になりました。日本語版の翻訳者は、相当苦労して名前を考えたんでしょうね。

    "
     
  14. dontrblgme:

:PHOTOHITO
     
  15. (Source: oystermag)